最近、芸能人の人たちが自分の意見を言って事務所を解雇されたり、ブログが炎上したりって話がちょこちょこ聞かれるようになりました。みんなそれぞれに意見を持って生活し、お互い違う意見を持つもの同士が同じ職業だったりする、ってとっても大事だと思います。この日記も書き込み自由にしていたらとっくの昔に炎上していることでしょう。価値観の違う人間を受け容れる寛容な心の持ち主はこの日記を普通に読んでいろいろな解釈があるなぁ、なんて楽しんでもらっていると思いますが、寛容でない人たちは必ず何かマイナスなアクションを起こそうとします。寂しいけれど、ここの国に多くあるイジメ体質ですね。個々が自分と同じような意見を持っているもの同士集まって相談しても、名案が出てくる可能性は高くないですよね。政党政治はその代表ではないでしょうか?
メディアの公共性?と言う表現が正しいかどうかはわかりませんが、いろいろな意見を自由に持つことが出来るこの国であるにも関わらず、実際は何か一つのまとまった考え方や、モノだけが極端に持ち上げられたり、逆に壊されたり・・・。自分とは違った価値観を持つ人も当たり前にたくさんいることを知ることはとっても大事なことだから、いろいろな意見を持った人が居た方が良いし、それが原因で論争になるかもしれませんが、それもとっても大切なことですよね。ただ、論争が感情的になると良い結果は出ませんけれど・・・。だから公共性という意味がこの国では何か一つの価値観(多くは多数決で決まる)にとらわれることになってしまっているように感じます。本来のメディアの公共性っていろんな価値観がベースにあって、社会生活を営む人にプラスになる情報のことを意味しているような気がしてなりません。
さて、皆さんはどう思っているのでしょう?