今年も3月11日がやって参りました。11年前私の長女が仙台で学生生活をはじめてほぼ1年たった時でしたね。2月末に学生寮からワンルームへ引っ越すと言う事でその手伝いをする為に仙台に行ってレンタカーを借りて引っ越しと買い出しに行ったことを思い出します。それから2週間足らずであの大地震。もちろん当初は連絡が取れず心配しましたが、その後無事が確認されてほっとしていたら、今度は原発の水素爆発。流石に結末を予測しがたい現実だと感じたので、長女と連絡を取ったところ仙台市内は入られないけれど、山形駅までならバスがでていると言う事になり、翌日の朝山形駅で待ち合わせして、私は車で迎えに行くことにしました。
なーんて事をつい先日のように思い出します。
先日書いた持続可能な世の中という空想と同じで、以前の東北に戻すなんて誰がどう考えても難しいと思います。仙台のような都市部ならまだしも、その他の過疎地では資本主義の世の中ではまずもって復興は難しいと思います。過去ももちろん大切ですが、未来に向かって一人一人が出来ることを確実に行うことが明るい未来を語る上では大切ではないでしょうか?
当院に勤めて10ヶ月の動物看護師がおります。水曜日の休診日当番で丸一日働いても、在庫チェックも、物品補充もせずに退社していました。おまけに2月末にやっておかないと行けない業務も忘れていることが昨日分かりました。もちろん、この10ヶ月間しっかり指導しています。外から見たら完全パワハラ状態かもしれません。だけど流石に指導の限界ですね。昨日できていたことが今日はもう忘れました。ってこの10ヶ月の間に何度同じ事を言われたか分かりません。私の心はズタズタです。それでも笑顔で頑張りますよ。